世の中に数々の「隠れた名盤」あれど、この作品も時代に飲み込まれた形で不本意な評価をされている作品。70年代後半、セックスピストルズに代表されるパンク・ムーブメントがブリティッシュ・ロックの水先案内人になっていた時代ー(破壊と虚無)ーに、芳醇なプログレッシブ・ロックー(構築と法悦)ーを貫いていたU.K.。
スタジオアルバムとしては処女作「U.K.」とこのアルバムの計二枚のみ。しかしその凝縮された「憂国の志士」の頑なまでの構築美(≒破壊美)は30年近く経った今でも色褪せない。
M-2などは、プログレッシブロックの中でも屈指の「ロマン派プログレ」と言えよう。ジョンウエットンの甘美で武骨な声が様変わりしてしまったワーテルロー切々と織り上げ、エディ・ジョブソン(ex フランク・ザッパバンド)は、鍵盤弾きならバイブル的フレーズである7/16拍子のイントロのピアノリフを流麗に奏でる。これらは「静かなるオーガズムス」さえ感じさせてくれる。
しかし、「形骸化したプログレ」に自らアンチテーゼを投げかけ、プログレを進化させ続けて行き、結果「プログレッシブ(進歩的)」という単語が「変拍子、組曲形式」などなど、通俗的で陳腐、言うなればティピカル・コンセンサスに成り下がっていた事を体現してしまったかのようなM-5。「プログレ」というジャンルに自ら幕を下ろし、紳士は自己批判をする。
Carring No Cross before me
(今まで何の苦労もなかったんだ)
と。
そしてこれはとりもなおさず、音楽業界マターの単語に変態した「プログレッシブ・ロック」という意識の破壊へとも向かっていった。一見品のいいシャッポをかぶった紳士は、実は確信犯だったのかも知れない。
まるでダイイング・メッセージの様にこう残して。
ー進歩の行く末の破滅ー
諸行無常、生きとし生けるものの儚い宿命を見通せるところから考えると「70年代最後の老練なるプログレ」と換言できるかもしれない。