2005年01月13日

初夢

を今年も見たのだが、例年よりくっきりと覚えていた。

実にいい感じの初夢であったのだ。何しろ夢の中で感動したのか、起きたら涙が出まくっていたから(^^)。年々涙もろくなってしまって困る。

その初夢を原案にして少々まとめて紹介しようとしたらちょっとした現代風ショートショートSFみたいになっちまいましたので(結構長い)、ここに全編掲載するのは控えます(^^)。

御興味のある方、以下からどうぞ〜




  
  「味チャーハン」



夜半過ぎの渋谷、年末ともなるとさすがに人通りもまばらだ。
宇田川町交番を過ぎ、スペイン坂を登りきり、パルコのある交差点をさらに北上するとNHKだ。昭和50年代後半、おれの少年時代にチャリンコでウロチョロしていた時と比べて、さらにスタイリッシュになった。
そんな感傷的な気分に浸りながら、うそ寒い夜半近くの都心の中を、また更に外套(コート)を襟足まで引き上げた。そぞろ見回すと、屈託なく笑いあうカップル、足早に駅に急ぐサラリーマン風の男達。
何だか急に独りで歩いているのが疎ましくなる思いに駆られた。

「あぁあ、腹減ってきちゃったな。」

思えば今日は朝から仕事だったまんま、何も食べてない事に今「気が付いた」。そう、今しがた「気が付いた」もんだから、いきおい空腹感が対数関数的に増えてきた。
何故かフッ・・・と、軽トラ一台がやっと通れるくらいの裏道に、誘われるがままに入ってみた。
するとそこには、横浜中華街のそれとよく似た、屋台とも、店鋪とも、どちらにもカテゴライズしにくいラーメン屋が軒を連ねていた。どの店もドアがなく、その狭い路地にラーメンの湯気がひしめき合う。視覚的にも暖かい光景だ。しぜん歩くスピードが遅くなる。しかし、長い事この辺に住んでいて見た事がない所だった。

「はて、こんなとこにラーメン屋街なんてあったっけかなぁ」

2メートル強程の低い天井。鉄パイプがはす交いになって、上に申し訳程度のクッションが付いている、ひと昔のラーメン屋ならどこでも見かけた「パイプ椅子」が4〜5脚。それから、食卓であるラーメン屋特有の朱塗りのテーブルが、滑らかにRを描きながら3メートルもあるだろうか。そのテーブルの一番奥で、常連とおぼしき初老の男が一人でラーメンをすすっている。
そしてその椅子とテーブルの向こうで、割腹のいいこの店の主人とおぼしき男が面倒なルーチンワークをこなすかの様な無機質な表情を一瞬こちらに向け、

「いらっしゃい」

と。
そう言うや否や、さっさと仕込みであろう、チャーシューの薄切りに専念していた。
何だか愛想のない店だなぁと思うのと同時に、「こういう店に限ってウマかったりする」という自分なりの方程式が頭をよぎった。常連客が右端、おれが左端といった形で右端のテーブルの上にあった保冷器の横からコップを自分で取り出し水を汲んで、ひとまずパイプ椅子に腰掛けた。朱塗りのテーブルには、この手合いの店にはお誂え向きのAMラジオからーアナウンサーの滑舌が妙にいいのを考えると多分NHK第1放送であろうーマーラーの歌曲「魔笛」が聞こえてきている。

「味ラーメン 900円」
「ビール   600円」
「酒     600円」

少々高いなぁ・・・。まぁでも渋谷だし、地代と考えれば妥当な価格設定か。
実に機械的にその右のメニューを斜め見した。が・・・・
ん?見間違い?と一瞬目を疑った。

「味チャーハン 320円」

異常にチャーハンの方が安い。不自然だ。だいたいこの価格差は一体何を意味するんだろう。いややはり見間違いだろう、そうに違い無い。裸眼で0.1無い視力である。どうも自分の視覚に自信が無いので椅子から乗り出して、その異様な価格設定の「320円」を確認しようとした所、右端に座っていた初老の男が矢庭におれに話し掛けてきた。

「兄さん、チャーハンの値段見てるんじゃないのかい?」
猜疑心やらで逡巡していた所の不意の「珍客」にへどもどしながら、
「あ、はい、そうです。あぁ・・・、やっぱり320円なんですよね?」
「んだよ。これは、ここのダンナのこだわりなんでさ」
随分と得意げだ。
「こだわり?」
「そうなんじゃよ、ここの大将ってぇのが今からもう二十・・・」
「ゲンさんもういいよ」
と、さっきまで黙々とチャーシューを切っていた店の主人が口を開いた。先ほどまで面倒そうにしていたここの主人であるが、ここまで来たら俺が出ねばなるまいと言ったような、敢然とした趣に変ぼうしていた。妙に頼もしく見えたので、
「大将のこだわりなんですか?」と訊く。
「あぁ。320円ってぇと、兄さん恐いだろ?どんだけマズイもん食わされるんだろかと。どうだぃ?」
「う〜ん。確かに大将の言う通りかも知れないですねぇ。値段見てたじろいで、帰っちゃうかもしれないです」
「だろう。騙されたと思って、食ってみな」
このうえない「根拠のある自信」を大将の声色からも表情からも感じ取れた。大袈裟な感じだが、始めてあった「ラーメン屋の大将」に、まるで自分のこれからの人生をも見据えられているのではないかと思うくらい、心地よい安堵感がおれを包んでいた。一も二もなく、

「わかりました。じゃぁチャーハン下さい!」
「あいよっ」

まるで数十年連れ合った夫唱婦随のようなそれになっていた。妙に嬉しい気持ちになった。
テーブル越しに見える主人が振る中華鍋、その鍋とガスコンロがかち当たるブリキのリズムパターン、そしてその端から端へと、流星のように宙を舞う具材。その一連の流れをまるで子供の成長を見守るかのような達観した表情を携えた主人。「芸術」などという陳腐な言葉では括れなかった。
すべてが必然であり、また同時にすべてが奇跡でもあった。 まさに「命」がそこにあったのだ。

この主人は何年、このチャーハンを振り続けてきたのだろう・・・
何人の客が、このチャーハンを味わい大きくなっていったんだろう・・・
そして、おれはこのチャーハンを食べて、どう大きくなるのだろう・・・

「はいお待ち!」

何だか取り留めのない事を考えているおれを揶揄(やゆ)するかのように、「ゴトン」とテーブルにチャーハンが置かれていた。お決まりの「喜」という文字が整列している皿に、半球体がひっくり返った、あの王道のチャーハンがそこにあった。

「さぁ、熱いうちにフゥーフゥー言いながら食いな。猫舌なら火傷しながら食ってみ。ハッハッハ」
「大将、随分乱暴な事言いますねぇ。」
「ハッハッハ。兄さん、冗談だよ。へっへっへ〜」

なんだよ、おやじ冗談言うのかよ、だったら最初っからしかめ面しなくたっていいのに。
何だか一杯食わされた気分になるも、目の前には至高の「命」がある。何だか食べるのが勿体無い気もするが、別におれは料理雑誌の編集者でもなんでもない。ただの「腹っぺらし」だから喰らうのみだ。

「大将、もう一本付けてくりや」
「ゲンさんもうやめときなよ、母ちゃんにまた叱られるよ」
このやさぐれた雰囲気とおよそ似つかわしくない荘厳なクラシックと、このどこにでもあるラーメン屋の何気ないやり取りを他所に、おれは無造作に置かれているステンレス製の容器からレンゲを取り出した。
レンゲにまんべんなくチャーハンが行き渡るくらいの量を掬い、口に運ぶ・・・。

旨かった。確かに旨かった。しかし、その事よりもっと、「何か」を感じたのだった。

ホッとした味だったのだ。「どこかに帰ってきた」味だったのだ。今まで食べたチャーハンの中で一番感動していた。味に対する感動・・・確かに相違ない。しかしそれは旨かったからではないのだ。「帰ってきた」感じを味あわせてくれたのだ。
そう思いながら食べていたら、なんだか込み上げるものがあった。旨いものを食って、感動してシクシクしている所を主人に見せるわけにはいかない。甚だみっともないからだ。
「ゲンさん」と呼ばれる初老の男と主人との押し問答は幸いにもまだ続いていた。その隙に右端の保冷器の横にあったティッシュを取ろうとしたら運悪く主人と目が合いそうになった。が、「意図的に」主人は目をそらしながら「しかし最近の日本ってぇのはさぁ〜」とゲンさんと床屋政談みたいな事を「あえて」やっていてくれていたのだった。
ティッシュを取りにいって涙を拭こうと思ったら、大将の心意気が沁みてまた泣けてきた。こんな店が渋谷の一角にまだあったんだ。東京もまだまだ捨てたもんじゃないと思ったらまたそれで泣けてきた。
泣き虫な一年だったなぁなどと感傷にまた浸っていたら、いつのまにかゲンさんは帰っていた。

・・・「味チャーハン 320円」。

そういうことだったのか。大将の精一杯の「メッセージ」だったのだ。気障な事するオヤジだよ、まったく。

ーわかるやつだけ食えばいい。儲けなんてどうだっていい。自分の居場所、本当の意味の幸せ、俺のチャーハン食ってもういっぺん考えろ。話はそれからだー

相変わらずクラシックがAMラジオから流れる中、そんな事はおかまいなしに演歌っぽいメロディーを口ずさみながらまたチャーシューを切っている主人に、勘定を済ませようと、

「本当にこれでいいんですか?」
と400円を渡すと、
「何言ってんのさ。品書き通りじゃなきゃパクられちまうよ、ハッハッハ」
と言いながらおつりの80円を渡してくれた。
「また来なや、兄ちゃん」

と言ったその笑顔は、まるでおれがまた来る事を悟っているかのような、穏やかなそれでいて堂に入った表情だった。そう、また「帰って来る」事を知っているんだ、きっと。


また公園通りに戻った。相変わらずの街並みと人並みだ。明日久しぶりに実家に帰るんだった。さっさと帰り支度をせねばならない。
また来年、東京に戻ってきたらまたここのチャーハンを食べに来なければ。
みんなにここの存在を教えてあげたいところだが、まだやめておこう。



もう少し、自分だけの物にしておきたいから。




【関連する記事】
posted by manzo at 01:07| カイロ ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ちょっと詩たもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何か昔の清水義範師を彷彿とさせる
ノスタルジックな雰囲気の作品ですな。
Posted by coSiNe at 2005年01月16日 15:21
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。