昨日は近所の上町の喫茶店「cafe anjelina」でキープしてたバーボンを嗜んだ。
カフェの窓越しに過ぎていく車を目で追いながら、様々な出会いと別れを、様々な喜びと悲しみを、幸せと寂しさを。
柄じゃないことを時々する。
「うんこちんちん」だからこそ。
先日友人と話した話題で「理想の死に方」を熱く語った。
曰く「惜しみないほどの悲しみを飲み込んできた私だからこそ、笑われて死ぬのが望みなのよ。田舎の側溝に落ちて流されて死ぬとか」
最初こそお互い大笑いしてたけど、笑いと悲しみとか、そういう相反した感情って本当に薄皮一枚の表裏一体だ。
厳粛な葬儀での読経の時に、お坊さんの頭にハエが止まったりして。
笑うに笑えないわけじゃん。
死を悼むのは当たり前のことだけど、死を笑うことを一元的にタブー視する風潮に時折違和感を感じるんだよね最近。試合に辛勝したチームの傍らに、惜敗した戦士たちの涙があるわけでしょ。笑う事をただただ不謹慎とするんで、それで、いいのかなぁ・・・。
ふてぶてしい涙というものを、僕は見たことがあるよ、昔。
見えないからって、ちゃんと月の裏側は存在する。